会社人間のお父さんの弊害

 

 

                                                            宋 文洲

年を取れば取るほど、自分の人生観に最も影響を与えてくれたのは他ではなく

父親であることに気付きます。若い時にとても理解できない、場合によって

反発していた父の教えは年と経験と共にじわじわ効いてきたのです。

 

しかし、父親の教えは決して学校の授業ではありません。一つ一つの教えは

父と共に過ごした時間と空間にくっ付いて離れません。教えを思い出す時、

その時の場面とシチュエーションも一緒に映画のように思い出すのです。

 

父は目に傷がありました。ほかの村を通る時、その目を見て子供達が笑った時、

一緒に歩いていた私は怒りました。しかし、父はその時、子供達に微笑んで

いました。怒った私を父はなだめました。「珍しいから見られるのも当然だろう。

悪いことをした訳ではないから気にしない。」

 

「変な人」、「変なことをしている」と言われることを気にするならば、

ベンチャーなんかはできません。ましてベンチャーへの偏見が強かった

20数年も前に、変な中国人が創業するなんて信用されないだけではなく、

嘲笑されることもしばしばでした。その時に思い出すのは父が子供達に

笑われた画面であり、その時の父の言葉はその画面についているテロップです。

 

現代の日本では父親が小さな子供と一緒に仕事をする機会は殆どないかも

しれませんが、そのかわりに旅行、行事、家事などのチャンスはたくさんあります。

 

特に家事はお金も時間も準備もかからないのでお勧めです。家事は決して

女性だけがするものではありません。それは稼ぎを男だけがするものでは

ないのと同じことです。もし、女性に社会進出してほしいならば、まず男性は

家に戻る必要があります。社会進出させておきながら家事も従来通り女性に

任せるならば、女性はあまりにも可哀そうです。

 

実は家事のできない男性こそ可哀そうです。それは老後になれば分かることです。

退職後の彼らは家に戻っても存在価値がないのです。それを避けるため、

日本男性の多くは定年後も職場に留まりたい願望が強く、結果として企業の

保守性が高まります。

 

しかし、今日の宋メールの重要なポイントは後世への影響です。

 

家事をしない男性の殆どは教育を奥さんに任せているのです。その奥さんが

また教育を学校や塾に任せるのです。お父さんが口を出さない(というか、

無関心である)ため、奥さんは偏差値、進学などの横並びの目標に向かって

子供達を勉強させるのです。よりよい塾に通い、より良い学校に進学させれば、

子供によりよい教育を施していると夫婦ともに勘違いしてしまうのです。

 

昔の日本人男性も家事をしなかったかもしれません。しかし、彼らは数十キロも

離れた会社にも行きませんでした。家から見えるところで農作業していました。

庭や家の修理もしていました。奥さんも子供もそれらの仕事を手伝っていました。

その労働を通じて時間を共有し、体験でしか伝えられない教育ができたのです。

 

戦後の教育を批判する経営者は多いのですが、たぶん一番の責任者は自分たち

でしょう。最近、ソニー創業者盛田さんの息子さんの惨状を報道で知ったのですが、

トヨタのケースとはあまりにも違うのです。長い目で見ると家族との関わりは

そのまま企業の運命に響くのです。

 

ゴールデンウィークが始まりましたが、仕事に誇りを持ち、それを理由に

家族と過ごす時間を削ってきた方々、取り戻すよい機会ですよ。


(終わり)