「私は運が良い」と言う人々

 

 

                                                            宋 文洲

「運も実力のうち」。日本ではよく聞く言葉です。私は自分の運は良いと

思うのですが、全く実力だと思わないのです。真面目に本当に「運が良い」と

思うのです。

 

実際、私が中学生に上がる直前に文革が終わって中国では試験制度が再開され

ました。田舎で差別された私達家族が差別されなくなり、受験の点数で都会の

一流大学に進学できました。一切の費用もかからずお小遣いまでもらえました。

これは運が良かったと言わなければ何と言うでしょうか。

 

「勉強よりも労働と革命が優先」の時代に学校に通った兄と姉達は勉強が

できても何の意味もありませんでした。ただ生まれる時期が違うだけで彼らと

真逆の人生を歩める私は運命に感謝するしかありません。

 

数十年の人生を振り返ってみると私の人生にも明らかに不運の時もありました。

しかし、幸運を思い出せば、不満不平がなくなり、逆境を自己鍛錬のチャンス、

次のステップアップへの授業料だと思えるようになるのです。やがて新たな

幸運が巡ってくるのですが、逆境で覚えた感覚を目いっぱい活かすため、

その不運が幸運の実りをより大きくしてくれるのです。

 

良い経営を長く続ける経営者の友人を観察してみるとやっぱり共通点は「幸運」

でした。第三者から見れば彼らは単なる努力家で逆境に負けないタイプの人に

見えても、ご本人は真面目に自分の幸運を信じますし、実際によく「私は運が

良い」と口に出すのです。

 

不動産経営のKさんがよく「運が良い」として使う事例はこうです。

 

ある日、彼は偶然の用事で所有するビルに立ち寄りました。一階のスーパーの

非常口付近に積み上がった荷物を見付けて撤去するように依頼しました。その

翌週、そのスーパーで大きな火事があったのです。非常口がスムーズに開いた

ため買い物のお客さんは一人も怪我せずに済んだのです。

 

このKさんとのお付き合いが長いため、彼がこの例を使って「俺は運が良い」と

言ったことを十回以上聞いたと思います。Kさんも大きな失敗はあります。

しかし、彼はその失敗の苦しみから教訓を学び、その後の経営にその感性を

上手く活かしたのです。不運が続いた時があるからこそ、上手くいった時は

「運が良い」と素直に思えるのです。

 

最近、経営の神様のように世間を説教する某経営者先輩にあまり賛成できません。

しかし、彼のある問いかけに私は密かにショックを受けました。それは経営者が

全力を尽くした時、自分に「神に祈ったか」と問うべきというお勧めです。

 

事業と投資が上手くいくかどうかは誰も分からない時が多いのです。特に

厳しい状況下での経営判断は賭けに近いのです。人間としてできるすべてのこと

を考え尽くし、やれることをすべてやり尽くした上、祈りは結果に役立たないと

知りながらも、なお且つ祈らずに居られない状況こそ、全力を尽くしたことです。

 

そこにもし期待の結果が出てきた場合、経営者は「俺の実力だ」ととても思え

ません。まず感謝です。社員に感謝し、顧客に感謝し、パートナーに感謝し、

家族に感謝し、そして幸運に感謝します。

 

「運が良い」と思えるとは、全力を尽くした証拠なのです。

 

(終わり)