外国人をもてなす前に社員を尊重して

 

 

                                                            宋 文洲

久しぶりにソフトブレーンのセミナーで講演しました。概要と進行手順を
簡潔に説明してくれた担当の女性について「仕事ができる方ですね。」と
感想を漏らすと彼女の上司が「そうですよ。助かっています。
しかし、彼女は今年中に辞めちゃうんですよ。」

辞める理由を聞くと「結婚して米国に移住する」と言うのですが、
それでも私はついつい彼女の上司に念を押しました。

「会社よりも社員の人生。これはソフトブレーンの文化です。
どんな理由で辞めても最後の日まで気持ちよく仕事できるようにしてあげてね。」

ソフトブレーンの経営から身を引いてからもう10年が経ちました。今年の7月に
形式的な経営アドバイザーも正式に辞めました。まったくの一個人として
社員とかかわると、余計に個人と組織との関係が冷静に見えます。

「世界を変える」と豪語するスティーブジョブズのような経営者もいますが、
私にはそれはとても傲慢かつ無意味だと感じるのです。スティーブジョブズも
世界の一部ですから、彼は一生において自分を変えることはできませんでした。

組織は常に自分ではなく他人を変えようとします。恐ろしいのは弱い個人でも
組織というレバレッジを手に入れると同じことを考えてしまうのです。しかも
弱い人間ほど、弱い組織ほど、立場と権力を得ると他人を変えようとする傾向が
あります。

私も会社を創った直後に、社員の人生よりも会社の運営都合を優先してしまう
時期がありました。社員の反抗に遭って大変苦しい時期もありました。しかし、
その苦しい経験によって自分の創業の初心に立ち返ることができました。
また、その初心に立ち返ったおかげで会社が成長できた上、自分も楽に個人に
戻れました。

D社の新入社員の過労死(自殺)の詳細を知れば知るほど、日本の古い組織への
嫌悪感がわいてくるのです。ここ数年、日本のテレビはよく「外国人が見た
素晴らしい日本」のような気持ち悪い番組を作りますが、それは観光客として、
接待を受ける立場の人々の一部の見方です。

そのテレビ業界および元卸のD社に外国人が数年間同じ環境で働いてみれば
どうでしょう。恐らく素晴らしい組織だとお世辞でも言えないでしょう。
これらの組織は日本の政治システムに守られていて、「世間体や収入と安定性の
高さなどからみても就職の最高峰」であり、政界や財界の有力者の子供が
ゴロゴロしていますが、今回のような環境を生み出すのであれば
世界に通用する個人能力を身に付ける場所として最低でしょう。

「東大卒で優秀で努力家である」ことは入社時に役に立ったとしても入社後には
何の競争力もありません。おそらく100時間以上の残業は本当の意味で顧客の
役に立つ重要な仕事ではなく、諸先輩が存在感と威厳を示す相手や「女性力」
という言葉を誤った形で翳される相手になったのでしょう。したがって
「過労死」という定義はまったく彼女の死の本質を示していないのです。
「パワハラ」や「虐め」などのストレスが彼女を死に追い込んだ本当の理由でしょう。

十数年前、現役の私はソフトブレーンの新入社員に忠誠心や愛社精神ではなく、
「会社の辞め方」を教えました。万が一、ソフトブレーンの仕事構造上、
会社側がいくら努力しても、社員の人生にとってプラスにならず、ストレスの
原因になるのであれば、最後の解決方法を教えたのです。会社側が辞職を
マイナスとみなさず、積極的に支援することで社員を助けたかったのです。

十数年が経ちましたが、辞めた社員は他の企業で活躍する人もいれば、
経営者になった人も多くいて、上場した人もいます。警察官、登山家、ボクサー、
落語家になった社員もいます。何よりも一度退社して数年後に戻ってきて
ソフトレーンの経営を支えている幹部もたくさんいることに私は非常に
満足しています。

組織は個人と同様、長い歴史の中で必ずミスをしてしまうのです。
社員個人を守る一番の仕組みとして社員を尊重し、組織の付属物にしないこと
です。D社は企業として組織として新入社員を自殺に追い込むつもりがあった
とは決して思いませんが、閉鎖的な企業文化の恐ろしさは社員を死に追い込んでも
殺人者がいないことです。

外部の客を「おもてなし」するのも良いのですが、そのために内部の方々が
人生を犠牲にし、ストレスに満ちた生活するようでは意味がありません。
それを知った外部の客も楽しめないものです。




(終わり)