ミヤォミヤォ

 

 

                                                            宋 文洲

ミヤォミヤォが天国に逝きました。2時間前にはまだ頑張って自らトイレに
行っていましたが、気が付いた時には息をしていませんでした。

ミヤォミヤォは我が家の猫です。7年前、子供たちに「北京に住むなら猫を飼って
あげるよ」と言って家族4人で北京に移住しました。白い子猫のミヤォミヤォと
出会ったのは移住した直後でした。中国語を一から勉強しながら地元の生活と
勉強に慣れていく子供たちにとってミヤォミヤォは言葉の要らない地元の最初の
友達でした。

そのうち、子供たちは学校の友達を家に連れて帰ってくるようになりました。
性格が温厚なミヤォミヤォは人気者で子供達に友達を誘うネタとしても
使われました。ミヤォミヤォに会うために来るようになった友達さえいました。

北京の冬は乾燥する上、寒いのです。おまけにPM2.5も心配の種でした。しかし、
広い家の中は快適でした。各種植物がたくさん置かれ、機械で空気の温度、
湿度と清浄度を快適なレベルに管理していました。何よりも、いつも両親、
おいしい料理とミヤォミヤォが待っていてくれていたのは子供達にとって
良かったと思います。

言葉も環境も不慣れな海外への移住に躊躇する人は多いと思いますが、現地に
快適な居住環境を築くことが大切だと思います。我が家の場合、地元でペットを
飼うこともその快適さを確保する一環でした。

落ち込んだ時や困った時に、ミヤォミヤォはそっとそばに寄り添ってくれました。
手でお腹を撫でると喉からゴロゴロと音を出しますが、それが何とも言えない
癒しになりました。気が付いたら自分のほうが慰められていました。

3年後、子供達は中国語がペラペラになり、中国各地に旅行によく出かけるように
なりました。4年後には子供達は英語も始めてアメリカの旅行やサマーキャンプ
にも行くようになりました。家族で出かける時、ミヤォミヤォはいつも心配の
種でした。久しぶりに帰ってきた時、ミヤォミヤォはしばらく鳴きやみませんでした。
たぶん「寂しかったよ。帰ってきてくれてうれしい。」と言っていたと思います。

5年後、子供達を日本に連れて帰ることにしました。日本語のレベルアップと
日本での経験が必要だと思ったからです。当然、ミヤォミヤォも連れていくの
ですが、免疫手続きが3か月かかるため、姉の家に預けました。ミヤォミヤォは
私達が姉の家に置いてきた衣類や家具の匂いを鳴きながらよく嗅いでいたそうです。

3か月後、ミヤォミヤォを連れ戻すために私と妻は北京に行きました。一緒に
空港に向かい、飛行機に乗る風景は今も脳裏から離れません。北京生まれの
ミヤォミヤォが海を越えて日本に「移民」したのです。

日本に戻って2年たった今年の春、子供達が米国の留学先が決まって入学準備
している間に、ミヤォミヤォは急に食べなくなりました。病院に連れて行ったら
腎臓病が進んでいて余命が数か月から一年と言われました。

その時まず頭に浮かんだのは「ミヤォミヤォは大役を果たしたからもう帰るのか。」
という思いでした。

もともと子供達を海外に誘うためにミヤォミヤォを飼いましたが、その子供達が
家を離れて海外へ一人旅に出かける時に、ミヤォミヤォが生の旅を終えようと
していることは偶然だと思えないのです。「ミヤォミヤォも一人旅に出かけるのだ。
天国への旅に。」と思ってしまうのです。

最後の日、妻はミヤォミヤォを抱いて彼が大好きな散歩コースに連れて行きました。
もう声が出ないミヤォミヤォは途中、急に力を振り絞って「ミアォ!」と
一回だけ鳴きました。そこは彼の散歩コースの中で特別好きな場所でした。
妻はミヤォミヤォをそこに降ろして、しばらく座らせました。
その晩、ミヤォミヤォは逝きました。

翌日、私はそこにミヤォミヤォのお墓を掘りました。別荘に有った木材で
棺を手製し、眠ったようなミヤォミヤォをその中に入れて埋葬しました。
妻は泣きながら土を被せました。

お葬式が終わって気が付いたのですが、ミヤォミヤォが選んだ場所は
私達家族が大切にしている大きなホオノキの根元でした。



(終わり)