もし彼がテレビ局を辞めなければ

 

 

                                                            宋 文洲

また友人の話から始まって申し訳ありません。
「久しぶりに会食しませんか」と黒岩祐治さんからお誘いをいただきました。
5年間中国に帰っていたこともあって彼が知事になってから二人だけで会ったことは
ありませんでした。積もる話をしようと思いました。


黒岩さんとはテレビキャスター時代からのお付き合いですが、友情が深まったのは
彼がテレビ局を退社しフリーのジャーナリストとして生きていこうとしてからです。
30年もサラリーマンをやっていたので辞めた時の戸惑いは簡単に想像できます。


私が彼に尊敬の念を持ったのもその時でした。何の問題もないのに皆が羨む
テレビ局の社員の立場を捨てるなんてもったいない話でしたが、彼はその立場に
イライラしていました。目に見えない何か「自分を縛っているようなもの」を
感じてフリーにならざるを得なくなったそうです。この話は当時も今回も
彼の口から出ました。


結果として辞めた当時にはまったく想像もしなかった政治家の人生を歩むことに
なりましたが、彼は今の仕事を大変楽しんでいるようです。彼がテレビキャスター
時代に訴え続けた「未病」という新しい医療概念が、国家戦略や海外にも採用
されるようになりました。人間の体の状態は絶対的な健康と絶対的な病気にある
のではなく殆どの時間においては、健康と病気の間の状態にあります。
この状態を「未病」と定義し、その状態に照準を当てたヘルスケアは
百歳人生につながる発想です。


正直、私は「未病」にあまり興味がありませんでしたが、「未病」に取り込む
熱意を持ち続け、とうとうそれを世の中に広めた彼の過去の十年間を見てきたので、
そのチャレンジ精神に頭が下がります。


もちろん、知事になってから名ばかりの特区を看破し、神奈川の特区で自動運転や
医療ロボットなどを実験し日本や世界に影響を与えてきました。地に足のついた
彼の実践をみて私はふと思いました。「もし、彼が今もテレビ局の社員を続けて
いたら、今の彼の活躍はあるだろうか。」


大手企業のサラリーマン、特にテレビ局のような保護された業界のサラリーマンは
自ら会社を辞めることはほとんどないのです。同じ業界内の人材流動がない上、
他の業界とは違うため通用しないと思うからです。その結果、日本のテレビ業界
にはテレビ局の実力者の意思を忖度する社員ばかりが増えています。
そんなトップの意思を忖度する古い社員が番組内容を決める上、別の古い社員が
解説員を務めるような番組は当然面白くないのです。それがテレビ離れの根本原因です。
まあ、私は地震や救助のニュースを除けば、もうテレビを見ませんが。


シャープがダメになったら、東芝もダメになります。ソニーが不振なら
パナソニックも不振です。大手が不振なら中小がチャンスだと思ったら、
日本の起業家の数は対人口比で世界でも最も少ない国の一つです。


全ての原因は人材の流動性にあるように思えてなりません。入って動かない人材は
時間と共にその活力と創造力が薄くなり、最後はただの「人在」になるのです。
女性の就職支援を国が応援するのであれば、サラリーマンがもっと他の会社や
業界に転職しやすいように国や自治体が支援してもよいと思うのです。


「樹移死、人移活」。樹木が移ると死ぬが、人は移ると活きてくる。
黒岩さんの活躍をみて中国の古い諺を思い出しました。


(終わり)